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カルテの開示を求める声は、単にカルテを見ること自体を望んでいるものなのではなく、自分がどのような病状であり、一体どのような治療を受けたのかということを、納得いくように説明して欲しいという願望を満たすための一手段としての開示を求める声なのではないか。
そう考えれば、カルテを見せる見せないでの議論というのは、あまり本質的問題ではないのではないか。
現在、最も考えなくてはならないことは、患者の病状やそれに対してどのような治療をしたのかについて、どのように伝えればよいのかという問題であろう。そしてその議論の中で、カルテの開示こそ、相応しい伝え方だという結論になれば、開示したら良いのではないか。
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(初出:西日本新聞1995年11月5日付,掲載時タイトル:どのように伝えるか…本質的論議こそ)
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