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  拡声器音をめぐる2つのエピソード
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Koji Nagahata


archieves
<エピソード1>
 参議院の選挙戦真っ盛りの日曜の昼下がりのことである。久々に隣街まで出かけてアーケード街を歩いていたところ、進行方向からとてつもなく歪んだ音声らしきものが聞こえてきた。音源方向に進んでいくにつれ、そのイントネーションなどから、何か演説をしているらしいことは判ってきた。しかし、あまりに音声が歪んでいるので、一体、誰が何を話しているのか、聞き取ることができない。アーケードの切れ目まで来たところで、道路の対岸右方向に環境政党を標榜する某政党の昇り旗を発見し、その脇に携帯型のPAを用いて演説をしている人の姿を確認して初めて、それが某党の選挙演説であると特定できた。
 候補者は、より大きな声であれば、より多くの人にメッセージが伝わるとでも思っていたのだろう。PAの音量を目一杯あげた上に、マイクに向かってどなるように演説をしていた。その結果として音声は歪みまくり、彼の演説のうち、私がまともに聞き取ることができた唯一のメッセージは、「環境を守ることに特化した政党が日本にもあって良いではないか」というもののみであった。

<エピソード2>
 同日夕刻、同じアーケード街の別の地点でのことである。所用を終えて駅を目指して歩いていると、またもや歪んだ音声が聞こえてきた。時期が時期だけに、またどこかの政党の選挙演説に出くわしてしまったのかと思っていたら、今度は、ボランティア団体による、盲導犬育成のための募金活動であった。
 募金をお願いする拡声音が作り出す音環境は、多くの視覚障害者が一人歩きが困難な状況として指摘する、大きな音により周りの手がかりとなる音全てがかき消されてしまう状況、正にそのものであった。ざっと見渡した感じ、周りには視覚障害者は募金者側を含めて一人も居なかったので良かったようなものの、もし、彼/彼女らが居たら、途方に暮れていたであろう。

 これら2つのエピソードは、構造的には全く同一であると思われる。どちらも、拡声器利用者の音(環境)に対する理解のなさと、それ故の配慮のなさから引き起こされた出来事だ。
 実吉純一は1953年の音響学会誌上で、拡声器騒音の類いは「騒音を出す当事者の意思によつて何時でも止め得る」ものであるが故、「取締り」と「世論の圧迫」により「著しく軽減できる」と述べている。しかし、それから半世紀が過ぎたが、「取締り」の根拠となる十分な法令もなければ、「世論」も「圧迫」に十分なだけ高まってはいない。本稿の2つのエピソードのような話は枚挙に遑がないのが現状だ。
 専門家の一層の社会貢献が求められている今、音の専門家集団である音響学会として、このような問題に対して積極的に行動する必要があるのではないか。拡声器利用者への啓発活動と、「世論」高揚へ向けての広報活動が手始めとなろう。将来的には、「取締り」の根拠となる法令制定に向けた行動が必要となるかもしれない。
 そして、半世紀後の音響学会誌に同様の話題が繰り返されることがあってはならないと考える。

文献
実吉純一:騒音源を衝け, 音響学会誌,9巻5号, pp.171-172 (1953).

(初出:日本音響学会誌,61(2), 2005)




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