福島大学周辺の古道
本誌第2号でも紹介された,総合図書館前の「はっつけ地蔵」の右手に「金谷川の由来」と題する案内板があり,金谷川地区の小字図が記載されている。経済経営学類所蔵による大学建設以前の金谷川地区の地形図および立体模型の資料と併せ検討すると,金谷川キャンパス構内にはかつてほぼ中央を北西方向に突き抜けるように旧道が通っており,それが旧浅川村の小字などの境界となっていたことがわかる。
この旧道は,構内で往時の姿を確認するのは難しいものの,うつくしまふくしま未来支援センター横の駐車場脇の小高い平場付近から先に続く道がそれにあたるとみられる。旧道は途中で左からの上り道と合流し(後述),やがて農道から左手に分かれ,鬱蒼とした木立の中を分け入って山道となる。多くの人々が長らく利用しつづけたであろう旧道の跡は今でもしっかり残っている。春先になるとボンティア有志が周辺の草刈りをしてくださるそうで,初めてでも道なりに歩けば迷うことはあるまい。
この旧道を大学構内から歩きはじめて小一時間もすると,東北新幹線のトンネルの出口付近に到達する。このあたりには「石那坂」という地名が伝わる。鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』文治5年8月8日条には,奥州藤原氏を攻撃すべく出陣した源頼朝軍を迎え撃つため,藤原泰衡郎従の信夫庄司佐藤基治(源義経の家臣で有名な忠信・継信兄弟の父)が「石那坂」に陣を構えたが,常陸入道念西(伊達氏の祖とされる)の4人の子たちによって討ち取られたという記述があり,奥州合戦の古戦場の一つと目されている。
本学教育学部の名誉教授である小林清治氏は,「石那坂」の地名を手がかりに、先の旧道を中世の奥州道(当時は奥大道といった)の一部であると比定し,奥大道は「松川から関谷(本来は「関屋」)を経て福島大学キャンパス西辺から山道に入り,峰伝いに進んでから平地に下り,新幹線および在来線下り線にほぼ沿って北に進」んだと説明された1)。小林氏が執筆者となり,福島県内の中学校の副教材として利用されている『ふくしまの歴史2 中世』(書店で購入可)でも,「福島大学北西の裏手から石那坂までの約一.五キロメートルの区間には,幅五メートル余りの道が続き,両側には溝の跡もみられます。東山道・奥大道の跡と推測されます。源義経や頼朝,あるいは西行・一遍など奥州に下った多くの人々が,この道を通ったのです。」と記述されている。
奥大道自体は金谷川キャンパス内を通ることなく,キャンパス手前で平地を西方向に下り,金谷川駅方面へと続いていたものと理解されている(先の「左から合流する上り道」がそれにあたる)。かつて金谷川キャンパス内を縦断していた旧道は,奥大道から分かれた支道ということになろうか。古代・中世段階から古道として同様に存在しつづけたかどうかは未考で,近世以降にできた旧道なのかもしれない。
「石那坂」の地名の存在を根拠に,福島大学北西の裏手から峰伝いに続く古道を「奥大道」と比定する小林氏の見解は,国見町の歴史・地理の郷土史家菊池利雄氏2),福島市の古道研究の郷土史家江代正一氏3)などによって研究が深められているが,一方で奥大道と近世の奥州道中は重複し,現在の福島市清水町に「石那坂」を比定する考古学研究者の木本元治氏の説4)も提起されている。
古道研究は一般に,歴史学による史料の解釈,歴史地理学の地図・航空写真等による痕跡の観察や地名研究、考古学の発掘,民俗学の伝承からの追究など,学際的手法によって進められる。史料が限られている現状では,いずれの説も決定打とはなりにくい。その場合,考古学による発掘調査が有効ではあるが,それは任意でどこでもできるわけではない。また,発掘自体が「史跡の破壊」につながる面があることも否定できない。ここは既存の資料をもとに学術研究を深めつつ,「源義経や頼朝、西行や一遍も同じ道を通ったのかもしれない」という往時の光景,“遙かなる中世”に思いを馳せながら散策を楽しむのが最適ではないだろうか。
本誌がこれまで取り上げてきた「貴重資料」とはややイメージ的にかけ離れているかもしれないが,福島大学の所在地とその付近にまつわる歴史的な地名,旧道などの史跡も,本学にとっては大切な「貴重資料」の一つである。これからも市民,そして大学関係者の憩いの道として愛されつづけることを願うばかりである。
引用文献 1)小林清治「石那坂合戦の時と所」(『すぎのめ』24,2001年)
2)菊池利雄「石那坂合戦」(『福島県の合戦』,いき出版,2010年)
3)江代正一「ふれあい講座 古代道」レジュメ(2012年)。なお,江代氏の著作が歴史春秋社より近刊とのことである(難波謙二氏からの情報による)。
4)木元元治「最近の調査成果から見た阿津賀志山と石那坂の合戦」(『福島考古』第53号,2012年)
執筆・写真:(上2点)阿部浩一・写真(下2点)難波謙二
出展:
福島大学貴重資料集 第4号