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はっつけ地蔵の謎に迫る

 

はっつけ地蔵

 

図書館脇の4体の石仏は「はっつけ地蔵」と呼ばれている。処刑場のはりつけではなく,書状をはりつけた,と名前の由来を説明する看板が脇にある。郷土資料や入試広報の大学案内にも同様に紹介されてきた1,2)。これらの記述の初出として確認できたのは文献(3)である。この号では頭巾と前掛けを着たはっつけ地蔵の写真が表紙になっている。

石仏の名前の由来はさておき,これらの石仏は誰がどのような思いでつくったのだろうか。4体の石仏を個別に見ると,向かって左から次の通り。 (A)蓮華座に合掌座像。蓮華座の下には方形の台座。首にセメントを用いた補修痕があり,頭と胴とで材質が異なる。(B)立像レリーフ。右手に錫杖,左手に宝珠。自然石台座。台座との間にセメント。背面に刻字「お久地蔵菩薩 元禄五年十月十四日亡久,昭和九年二月十四日,建之字六斗内 尾形ツネ」。(C)合掌立像レリーフ。台座は2と同様。背面に刻字「文吉地蔵菩薩 元禄五年九月十四日亡久,昭和九年旧二月十四日,建之字町 長南スイ」。(D)合掌立像レリーフ。自然石台座,石仏はすこし傾く。表面向かって右に刻字「道芳貞心信女」。向かって左の年号の刻字は欠けており判読不能。おそらく墓碑。

(C)と(B)とは元禄5年に亡くなったそれぞれ男女のために没後240年の時を経た昭和9年に建立されている。(C)の施主長南スイの居所「字町」は現在の若宮だ。ここを宿場町として整備するために古浅川と六斗内から1652年頃に移り住んだ長南氏末裔が今も若宮に何軒かある4)。地域の方々のご協力で,長南スイは若宮の女性で,昭和29年に81歳で亡くなっていること,(B)の施主尾形ツネは六斗内に嫁いだスイの実の娘であり,昭和38年に68歳で亡くなっていることがわかった。大正11年生まれ若宮在住の長南睦男氏は地蔵建立のとき 12 歳だが,そのころから法華を信奉した母娘二人が熱心にお題目を唱えていた姿を覚えておられる。現在も松川の立正院が盂蘭盆会で水向供養を毎年行なっているほか,地元の方々が花や食べ物を供えている。立正院の話では「法華宗では地蔵を建立しないが,二人は当時地域に流行った地蔵信仰に因み,先祖を供養したのではないか」とのことである。

他の2体の石仏(A)(D)は(C)文吉・(B)お久地蔵よりも古く,(A)が最も古い石仏のようだ。なお,理工学類の長橋良隆先生によると,材は (A) の方形台座を除き地元に産する岩屑なだれ堆積物由来の火山岩とみられるとのことである。 

 

引用文献 1) 松川の伝承と方言編集委員会(編)(2005)松川の方言と伝承,歴史春秋出版.

     2) 福島大学,福島大学案内.

     3) 福島大学広報委員会, 1985, 吾陵ニュース No.55.

     4) 中村就一(1987)長南氏の研究, 全国長南会, pp747-755.

 

執筆:難波謙二(共生システム理工学類)

出展:福島大学貴重資料集 第2号