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震災プロジェクトのホームページ終了にあたって
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日本サウンドスケープ協会震災プロジェクトは,2011年7月28日に同協会の会員メーリングリストにおいて公式に開始が告知されて以来,永幡をプロジェクトの代表として運営されてきました.そのため,震災プロジェクトのホームページは,永幡のホームページに間借りする形で公開を続けてきました.
震災プロジェクト開始時より,震災プロジェクトの一環として登録される個別のプロジェクトの作成した報告等は全て,それぞれの個別プロジェクトの著作物であり,著作権はそれぞれのプロジェクトが保有することと定めており,このことは日本サウンドスケープ協会の常務理事会のメーリングリストでも報告されており,何の異議なく認められたものでありました.
2013年10月5日から12月1日にわたって千葉県立中央博物館において開催された日本サウンドスケープ協会20周年記念展において,震災プロジェクトの一環として展示された『福島サウンドスケープ』プロジェクトの展示に対して,千葉県立中央博物館による不当な扱いがありました.その際,記念展実行委員会は,その不当な扱いに対して何らかの行動をすることもなく,あろうことか,「ポスター自体は協会の著作物であるから何の問題もない」と言明までしました.このことは,ポスターはサウンドスケープ協会による二次著作物に過ぎない(一次著作物がなければ成立しない)にも関わらず,一次著作物の著作者(かつ著作権者)の権利を踏みにじる行為を,実行委員会によるなんの問題もない(と彼らが信じる)行為として行ったことを言明したことになります.
このことに対する抗議として,『福島サウンドスケープ』の著作者,『音環境探訪プロジェクト』のホームページの著作者,そして,『耳の証人プロジェクト』のホームページの著作者である永幡より,そのような著作権の扱いをする団体のプロジェクトとして,それぞれのホームページを公開することを拒否したいという申し出がありました.震災プロジェクトの発足当初よりの規定より,プロジェクトの一環として登録した個別プロジェクトは,登録から1年間はホームページをプロジェクトのページとして公開し続けなくてはならないというルールはありますが,それぞれのプロジェクトはその規定を満たしているため,これらの申し出を拒否する理由は何一つありません.そこで,震災プロジェクト代表としての永幡は,これら全ての申し出を認めることにしました.ただし,例えば11月18日付け東京新聞によれば,日本サウンドスケープ協会は「『締め切り間際に要望があり,内部で十分な議論ができなかった.展示に間に合わせたかった』と説明している」とのことであり,展示を行うことこそが最優先の事項であると考えているようです.そこで,そのことに最大限の敬意を払い,20周年記念展が終わるまでそれぞれのページを残しておくことを申し出を認める条件としました.
そして,震災プロジェクト代表としての永幡は,千葉県立中央博物館において『福島サウンドスケープ』の著作者である永幡の権利を守ることができなかったことの責任をとり,震災プロジェクトの代表を辞任しました.そのことにより,震災プロジェクト全体のホームページを永幡のホームページ上に間借りする必要もなくなりました.そこで,このURLにおける震災プロジェクトのホームページ自体を終了することにいたしました.
これまで,このURLにおける震災プロジェクトのホームページを閲覧してくださった皆様,ありがとうございました.
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震災からちょうど1,000日目にあたる2013年12月4日
永幡幸司
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千葉県立中央博物館における『福島サウンドスケープ』の展示に対する不当な扱いをめぐって
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千葉県立中央博物館における『福島サウンドスケープ』の展示に対する不当な扱いの詳細については,下記文章をご参照ください.
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日本サウンドスケープ協会20周年記念展における『福島サウンドスケープ』の展示に対する千葉県立中央博物館の対応をめぐって
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千葉県立中央博物館長による『福島サウンドスケープ』の展示をめぐる回答にはなっていない「(回答)」をめぐって
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